2022/07/16(土)「異神 上」 ちくま学芸文庫 筑摩書房
2022/07/16 19:17
「異神 上」 ちくま学芸文庫 筑摩書房
1.新羅明神覚書- 寺門の守護神だった。
- 疫神は新羅からやってくると考えられていた。
- 疫神を払う場合は海や境界の外に流した。
- 新羅明神は祟ると疫病を流行らせたりして、須佐之男と同一視された。
- 主に天台宗系寺院で祀られ、秘仏とされた。常行三昧堂の阿弥陀仏の後に隠れ、「後戸の神」とされた。(p160)
- 毛越寺の越年では、摩多羅神に関する芸能的祭祀で須佐之男の「八雲立つ~」の歌が披露された。(p159-160)
- 柳の牛王というものを長い竹のうれにはさんで、ささげて持ち巡った(p160)
でも、建御名方の方は・・・、下社は須佐之男で八坂刀売は奇稲田姫って言うかもしれませんが。上社は、アジスキタカヒコネ(でなければ火雷神)と下照姫(でなきゃ亀の乙姫様であるところの天御梶姫)って言うんじゃないのかねえ? 「殺す者」と「殺される者」が「同じ物」であるならば、建御雷神と建御名方富命は「同じもの」である、といいそうである。というか、「信濃の国」の外では完全にそういう取扱なんじゃあ? と思うわけですが。
でも、年神堂にはもう一つ「かんでいる神」がいて、風祭が行われていることから風の神である「龍田大社の級長津彦命(今は風間神社の祭神)」もかつては祀られていたはず。龍田の神は、諏訪では「守達神」として建御名方富命の子神に組み込まれていると思われる。年神堂が守田廼神社に移築されたのはけっして「偶然」なのではない、守田廼の元の祭神が「守達神」だったからではないのか? とあたくしは思うわけですが。
ともかく、立田の里であれこれおみやげを買って「級長津彦命と伊勢津彦命のことを忘れないでねえ。」と言われた気がするわけで。級長津彦命(龍田の神)の諏訪での名前は守達神、伊勢津彦命の諏訪での名前は建御名方富命である。古き御射山に八坂刀売ではなく、下照姫を今も祀っている人々のことをぞ我は忘れぬ。北信濃では彦神別神こそが須佐之男であり、摩多羅神である。善光寺は須佐之男と摩多羅神を祀る台密のメッカなんじゃん? 彼らが阿弥陀の後ろに隠れてるんじゃん? とそうなるわけである。「隠されている秘仏」も「摩多羅神」そのものといえる。
- 叡山では摩多羅神=マカカラ神(大黒天)=荼枳尼天、と考えていた。彼らが死にかけた人の肝臓を食べないと、人は往生できないと考えられてた。マカカラ神、荼枳尼天は人の血肉を食らい、精気を奪って死に至らしめる、とも考えられていた。行者がマカカラ神に自らの「指の血」を供物として献じることが最極の秘事とされた。マカカラと摩多羅では音が似ているので、習合したのではないか。(p173-174、178)
- あるいは摩多羅神=マカカラ神(大黒天)で、荼枳尼天を調伏するもの、と考えられていた。(p174)
- 那智山では、後戸(摩多羅神)の祭祀で、「善光寺如来は聖徳太子の作である。」と詠っていた。(p187)
- 中世では、鳶は天狗の化身と考えられていた。(p191)
- 摩多羅神の祭祀では、秩序のない踊りを踊っていた。→「芸能の神」への変遷。(p193-194)
- 那智山では、かつて12月23日に摩多羅神の神事を行っていた。冬至に関する祭祀か。(p206)
- 中世初期にあらわされたと思われる伊勢国度会郡小俣村・平尾八所明神の『離宮院記』(『群書類従』続神祇部)には須佐之男は摩多羅神とある。「離宮之旧記」には須佐之男は牛頭天王であり、伏羲であり、摩多羅神である、とある。一部には天照大神と摩多羅神を習合させようとしたものもある。(p404)
- 中世において、須佐之男は午頭天王、摩多羅神(以上、中国の神とされた)、武塔神(新羅明神)と同一視されて、一群の疫神とされた。(p210)
- 不動尊から大黒天が化現れる、とされた。(p220)
- 摩多羅神は行疫神である摩怛利神と習合させられた。槌を持つ?(p224)
- 疫神でないものを、無理矢理こじつけて疫神と習合させていた。(p.227)
- 伊勢神宮に奉安された「心の御柱」は五色の糸で密教流に封印された。(p.407)
- 円仁は仏教の修行で「不死の妙薬」を得た、とされた。(p.231)
- 摩多羅神は金刀比羅とも同一視された。(p.238)
- 摩多羅三尊は「一心三観」と考えられた。(p.256)
- 摩多羅神の教えは「生死即涅槃」というような対立しているものを一つにまとめるよなものだった。(p.267)
- 儀式における「狂乱の踊り」は性行を暗示した。(p.267)
- 摩多羅神は荒神とも同一視された。(p.271-272)
- 比叡山では「山王」は天にあっては「北斗七星」、地にあっては「山王七社」で「七仏薬師」の顕現とされた。(p346)
- 摩多羅神は阿弥陀如来とも同一視された。(p.367)